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山北巡検

【巡検報告】山北巡検ギャラリー(2/23)

NPO法人丹沢自然学校(http://www.tes21.org/)の中村先生ご指導の下、神奈川県山北町の地形の成り立ちや人々の暮らし、防災を学習しました。

中村先生、ありがとうございました。


当日の行程図です。

・山北駅(集合場所)


 


 

 

・山北鉄道公園

D52形蒸気機関車が保存されています。

御殿場線(旧東海道本線)は、この先の勾配が急になるため、この山北駅で蒸気機関車の連結が行われていたようです。また、それによって国鉄関係者が山北町に集まるようになり、賑わいのある町となりました。


 


 

・盛翁寺付近の砂岩露頭

段丘面を切り崩した道路脇に、砂岩の露頭があります。

何を意味するのでしょうか?


 


 

・盛翁寺付近のみかんと茶葉栽培

山北町の名産品、みかんと茶葉です。

どちらも常緑樹であり、温暖な気候が窺い知れます。


 

・河村城址歴史公園内の泥岩露頭

粒子の細かい泥岩露頭です。

この正体は、伊豆半島が日本列島に衝突したときに、海底に堆積した土砂が持ち上げられたものです。

足柄層群と呼ばれています。


・河村城址歴史公園内の火山灰露頭

赤っぽい層(関東ローム層)と黒っぽい層(宝永噴火の火山灰)が見えます。

黒っぽい層と赤っぽい層の間の白い石粒は、宝永噴火の軽石です。

白い軽石が降り積もってから、黒い火山灰が降ってきたことが分かります。


河村城址歴史公園(昼食)

河村城は、戦国時代の小田原北条氏の出城でした。

北の甲斐国と西の駿河国をけん制するために、戦略上重要な城となりました。

石垣は築かれませんでしたが、崩れやすい関東ローム層の上に成り立っているので、よじ登ることは簡単でありません。


 


 


・浅間山山頂付近の絶景スポット

足柄平野を一望できます。

正面を蛇行する河川が酒匂川で、左方の高まりが大磯丘陵です。

大磯丘陵と足柄平野の境界には、国府津―松田断層が走っています。



 


・文命堤

酒匂川の蛇行は、江戸時代に築かれた堤防(文命堤)によって生まれました。

酒匂川は流れが速く、たびたび洪水を引き起こす暴れ川でした。

文命堤の目的は、堤防にぶつけて、河川の勢いを和らげることと、足柄平野の端へ誘導させることの二つです。


 


 

・岩流瀬橋付近の礫岩露頭と砂岩露頭

砂の堆積層とその右側に丸くゴロゴロとした礫の堆積層が見られます。

この砂層の正体は、2900年前の御殿場泥流の堆積物と考えられています。

右側に礫層が見えることから、かつての酒匂川の谷部であったと分かります。


 


・内山地区の火砕流堆積物

酒匂川の左岸から右岸を見ると、厚く平坦な堆積層が見られます。

これは、65000年前の箱根火砕流の堆積物と言われています。


 


・皆瀬川の掘割

江戸時代、皆瀬川は現在の山北駅周辺を通り抜けてから、酒匂川と合流していました。

しかし、宝永噴火の後、河床上昇によって洪水が頻発したため、掘割によって流れを変えました。

皆瀬川の旧流路は、現在の御殿場線と一部一致します。


 


 

・山北駅(解散)